乳がん・乳房再建

2007年12月17日 (月)

QOL(Quolity of Life)

Tanpopo 時間の感覚が分からない。長かったような、早かったような・・・
「早く感じる」= 「そこそこ幸せ」 と、あずきさん理論は正しい。

職場の人がガンで亡くなったという話を聞いた。春に一度入院して摘出手術を受け、抗がん剤治療を受けながら、一時職場復帰もしている姿も見かけたが、その後再入院して3か月ぐらいである。早すぎる・・・。

どうしようもないことだけど、これは人ごと、運が悪かったで片付けていいのだろうか。
同じ病名をもらった者としては、いくら強がりを言っても少なからず反応してしまう。

σ(´ρ` )の病院通いが始まったのは去年の春だったのだ。私の場合は、何となくそう予感していたし、覚悟もしていたけど、突然告知された家族はたまったものじゃなかっただろうと思う。

生きていく中で大きな出来事に遭遇するのはそうあるものではないが、突然、前方敵発見!急遽、多国籍軍編成、戦闘準備OK。砲撃開始~~!!
なーんて言われても、心の用意も戦闘準備もできてないのに、私一人だけでなく家族ともども裸で戦場に放り出されるようなものだ。

今度遭遇しても、話が分かる相手ならまだしも、寄ってたかっていたぶるのはやめてくれ!

1年を待って、再建手術をしたのはまだ今年なんだ・・・。
みんなも遠い昔のように感じているのに、生活もようやく元のリズムに戻っているのに、また心配と負担を掛けるのも申し訳ない。
しゅがーの高校生活3年間が私の闘病記となるのもなんだかなぁー・・・。術後、なんだかんだと半年ぐらいは落ち着かないからねぇー。

胸に時々聞いてみるの。「もっとキレイになりたい?」って。
私自身は、それほど気にはならないまでも、もっと自然な形になるのならしてもいいかなとも思うが、どうでもいいようにも思えるし・・・
とりあえず、来年の修復手術は見送ることにする。

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2007年10月21日 (日)

反応する言葉

どうしても体が反応してしまう言葉がある。

半額、おまけは大きく針が動いてしまう。

σ(´ρ` )の情報源である、夕方の地元ニュースの、催し物コーナーで「乳がんについての講習会」の文字が目に入ってしまった。
気持ちが揺らぎ始める。

一応標準治療というのは終わっているし、特に問題を抱えているわけではないが、どこかで納得していない自分がいることは確かだ。

再建の課題は先送りにするとして、何に引っ掛かっているかというと、σ(´ρ` )の場合は、治療に選択肢がいっぱいあったということで、その中にも「何もしない」(腫瘍切除後)というのも選択できたということ。

もう一つはホルモン治療がどうしても引っかかっているのだ。

さらに、私の主治医はもうこの病院を退職していること、この病院に乳腺外科はないということ。
もし再発した時どうしよう、ということが頭から離れないのだろうと思う。

最初の腫瘍切除で断端陽性(まだがん細胞が残っている)ということで追加切除を余儀なくされたわけだが、拒絶反応と不信感が残り、セカンドオピニオンを評判のDr.(開業医)に受けた。

治療方法は、主治医(県立病院勤務医)とかなり違った意見だったため、サードオピニオンを国立大学で受けた。
教授は標準治療の説明をしてくれた。
標準治療を基本方針とする大学病院では、私の場合は、主治医の治療方針の追加手術に放射線治療が一般的であるということだった。

主治医の元で追加手術と放射線治療を終えたわけだが、選択しなかった治療がどうしても気になってしまう。誰にも分らないこと、解答がでない疑問。

興味はあるものの、こういうセミナーに行ってみるというのはかなりの勇気がいることだと思わない?
何を思ったか、ふらふらーと行ってみた。

このセミナーについては、もう少し整理してから報告します。

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2007年9月 6日 (木)

私の問題

4月に乳房再建の手術をしました。あれから5か月。
昨日は診察日でした。
経過は良好、少し気になる所あり。

摘出手術後のかわいそうな胸を思えば、σ(´ρ` )的にはかなり満足のいくものです。
少し気にはなるものの、我慢できないほどじゃない・・・。

矯正下着の必要はなく普通のブラジャーでほぼ大丈夫だし、胸が広く開いた服でなければ何も問題はない・・・。

右胸上の腫瘍切除の後を広背筋で補ったのですが、どうしてもその傷痕で段差が出来て、二段腹ならぬ二段胸になっているのです。上側の肉が脇のところに余っているというのを連想してください。

再建手術にはかなり慎重だったS.Dr.が、修正手術にはかなり乗り気です。「ここを少し切って上に持ってくれば、かなり自然な状態になる。即日退院は無理だけど、2、3日の入院で済みます。」という具合いです。

術後、回診にきた先生に、この手術の自己評価をしてもらったことがあるんです。その時の答えは、80~85%の満足度を持っているという話でした。

σ(´ρ` )も80%の満足感は十分持っています。
傷痕が残りますから、満足感が100%になることはないけど、残り20%の不満はかなり小さくなります。

どうしよう・・・
胸の治療から卒業したかったけど、留年ってところですね・・・。
急ぐことはないので、じっくり考えてみます。
温泉デビューはいつになるかなぁー。

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2007年6月 1日 (金)

私の選択

先日、偶然NHKの「生活ほっとモーニング」で「おっぱいを取り戻したい」(5/30放映)を見てしまった。

どこかで聞いたようなことを言ってるなと思いながら見ていて、後で気が付いた。
マダムだって乳房再建」で載っていたのを思い出しました。

ただ今、再建2か月です。
私自身、再建にはちっとも迷いはなかったのですが、Dr.もOTTOも迷っているように見えたみたいです。
手術は急ぐことはない。もう少し考えてみますか。セカンドオピニオン受けますか。紹介状書きますよ・・・って、先生はしたくないってこと?

自家細胞を使う筋皮弁法か、人工乳房によるインプラント法が一般的ですが、脂肪移植など再生医療の最先端技術など再建方法を相談しました。

最先端医療を受けるためには、地方の病院じゃ無理なことだけはよーく分かりました。
設備が整っていない、スタッフがいない・・・
こんな強気の寂しがり屋が家族から離れて、知らない所で手術を受けることも、スタッフ達と一から関係を築くことも、時間と費用の負担も大変なことです。そんなことできません。

もう体を切るのはイヤだから密かに期待していたインプラントはできないと言われてしまったし、腹筋を使うのはいやだったから、背中の広背筋を使う方法しか残ってなかった。

移植当初のぎこちなかった筋肉も自然な柔らかさに戻ったけど、ちょっとボリュームが足りないσ(´ρ` )の再建乳房だけど、普通に普通のブラジャーがつけられる喜びは胸を失くした者にしかわからない喜びでしょう。

余分なお腹の脂肪を使って再建するマイクロサージャリーは、お腹に傷が残るにしてもかなり夢のような手術になるのでしょうか。

医学の進歩は日進月歩でも、広がる医療格差で受けられない医療がいっぱいあることも事実です。

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2007年5月17日 (木)

限りない追求

昨日は外来診察日でした。
薬(リザベン)の後遺症もなく順調な回復ですが、気になることは山とあります。朝一番の予約で後の人には申し訳なかったのですが、結構時間をとっていただきました。

外科の手術の時はこんなにテープを毎日張り替えるようなことはしなかったし、逆にテープが剥がれるまでそのままにしておくように言われました。

診療科は変わったけど、同じ場所(胸)の手術なのにどうしてこんなに違うの?

「外科と形成外科の傷痕は全く違いますけど、どうしてですか?」という話では、当然傷口の縫い方が違うから治療方法も違うというこということになりました。
切られる方としては、一生残る傷ですから後だってきれいにこしたことはないはず。外科のDr.も後の残らない縫い方にして欲しいというと、外科の先生に言ってくれといわれたけど、今度の手術の時(まだするつもりなんかいな…)は進言してみようと思います。

本題は、再建した胸のボリュームが少し足りないような気がすることです。移植した初日はちゃんと膨らみがあったのに、次の日は古傷の所が凹んでるだもんi|lil|Σ(´д`ノ)il|il|
1月たった今は緊張していた筋肉も柔らかくなって少しは馴染んできているものの、ちょっと気になる…

いろいろ言い訳めいた説明も聞いたが、この段差をきれいにするためには、また同じ手術(広背筋皮弁法)をするらしい(○Д○;)マヂッっiilllilll
一度の手術では希望通りにはならないって、こういうことなの?
やっぱりDr.って恐いワ!

新入り筋肉と古傷が打ち解けてくれるよう頑張ってみる・・・話し合えば分かってくれるさ(川;*^▽^)ア、ア~ハハハ・・・
再建前とは格段に見やすくなったことは間違いない。傷痕は日ごとに薄くなっているし、ちゃんと胸があるんだもん、私的には(・ω<d)おーけーだすー。

脇の下のテープ負けをして赤くなってきているところは除いて、薬の服用とテープ(マイクロポア)の貼り替えは、まだ当分続きます。

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2007年5月11日 (金)

テープ貼りと薬

薬を飲む習慣はちっとも定着しない。年寄りの気持ちがよく分かる。
飲んだっけ? 飲んでない~~~アタタヽ(´Д`ヽ ミ ノ´Д`)ノフタタ

大きな傷痕に恐れをなして、自己回復力だけではちと不安。一度は断った薬を「飲みます」と言ったものの…
この「リザベン」(カプセル100mg)という薬、受傷後早い段階から服用することがポイントで、飲み続けることで徐々に効果が現れるという。1日3回(食後)を何ヶ月も続けるとは思わなかった。甘かった~~。3日以上同じ薬は飲んだことがないのだ~~。i|lil|Σ(´д`ノ)il|il|

膀胱炎に似た症状とか、頻尿だの血尿などの副作用についていろいろ脅されたが、目立った症状はでていない。効いているのか、効いてないのか分からないけど、蚯蚓腫れの山も低くなり、まずますきれいに治っていっていると思う。
一つ非常に気になっていることは、毎日アルコールが入るわけだが、その影響はどうなのんだろうかということである。( ̄へ ̄|||) ウーム

薬のほかに「マイクロポア」(3M)というテープを傷痕に直接貼ってやらなければいけません。風呂の前には剥がして洗ってやり、貼りかえる。これも何ヶ月も続けなければいけないらしい。

テープを貼りかえるぐらいできれいに治るのなら、せっせせっせと貼りかえるのだが、σ(´ρ` )の場合、傷口が脇から背中にかかっているため、テープを短く切って、傷口に垂直に貼り重ねていくなんて一人じゃ出来ないのです。今も娘にお願いしているんだけど、そんなの聞いてなかったよー。娘がいなきゃシャワーもできない? Σ( ̄ロ ̄lll) ガビーン

医者の常識と私の常識のかけ離れていることを痛感。「病気は劇的に治らない!」と「夢のような手術はない!」をしっかり胸に刻んでおくことにする。

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2007年4月26日 (木)

再建ハイv(o^_^o)v ぶいっ

「夢のような手術はありません。」
手術前にDr.から何度も言われました。

失った所を自家細胞で埋めてやるのだから、犠牲になる個所は出てきます。そんなこと分かっていたつもりでした。
病気じゃないからこれでいいという問題だろうか。逆にいうと病気治療の必要がないからできる手術だと考える方が正しいのだと思う。

手術は始まりであって、終わりじゃないことはあまり言ってくれない。虫垂炎になったときも、真っ青な顔でお腹を抱えている私に、救急のDr.から「劇的に治るような病気はありません。」と言われてしまった。それまで、一晩寝れば熱も下がったし、元気を回復していたσ(´ρ` )ですから、この1年はとっても長い1年でした。

σ(´ρ` )の乳房再建は広背筋皮弁法になりました。密かに日帰りの可能なインプラントを希望していたのですが、無理だと言われてしまいました。腹直筋皮弁法という腹筋を使う方法もありますが、わずかな膨らみを作るためには背中からで十分でした。

手術が終わった翌日、胸のガーゼの下には、少々の違和感はあるけれど胸に膨らみがありました。

脇から背中にかけての大きなガーゼは気になっていたけど、吸引バッグも取れて抜糸された体をみて、かなりショックでした。想像以上の大きな傷でした。ガクゥ━il||li(っω`-。)il||li━リ…
乳頭・乳輪も温存できているし、小さな胸の上のひきつれを直すだけなのに、こんなに大きな犠牲を払わせてしまって、自分の体に申し訳ないと思いました。本当に泣きそうになった。(*_ _)人ゴメンナサイ

Dr.の腕が良かったのか、私の回復力がすごいのかは分からないけど、疵痕は順調にきれいに治っていっています。まだ完全じゃないけど、胸が戻ってきたのはものすごく嬉しい!ブラの中に補正パットを入れなくてもいいんですから・・・(# ̄ー ̄#)

先日、患者会がありました。私は変わったのでしょうか、「別人かと思った。」といわれてしまいました。半年前の患者会は、放射線治療も終わって自分では以前のσ(´ρ` )に戻っていたつもりだったのですが、そう簡単に割り切れるものでは無かったのかも知れません。

私の我がままでいっぱい傷ついた身体には申し訳ないけど、周りのみんなにもいっぱい迷惑を掛けたけど、私の中で何かがハジケタような気がします。もう少しきれいに治ったら、戻った胸を見てもらいたい。何でもないようなことだけど、気になるところは少しでも少なくすることが、元気の種を大きくすることのように思う。

でも、失ったものを取り戻すのは至難の業です。
いつか、一日も早く夢のような手術ができるようになる日が来ることを祈っています。

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2007年4月16日 (月)

バージョンアップ休暇

ゲームを進めること。本を読むこと。見たかった映画のDVDを見ること。ビスタの勉強をすることetc.

去年の入院を踏まえて、少しでも楽しい入院生活が送れるように、癒しグッズとオモチャをいっぱい持ち込みました。必須アイテムはPC。(◆'з`b)b
モバイルカードも借りたし、どうにか間に合ったビスタのNewPCを大急ぎでSet Upして、手元にある音楽CDを取り込み、準備OK?
ワンセグのカードが見当たりません。PCメーカーに電話すると、品切れで発送は4月上旬とのこと。え~、テレビが見えないじゃん。ε=┏(; ̄▽ ̄)┛

術後は個室でしたから、冷蔵庫・テレビ付き.。音楽も一日中イヤフォン無しで聴けます。少々の差額ベッド代を払っても、これなら快適な入院生活が送れると思っていたら、3日で追い出されちゃった。
大部屋に移って、周りは動けない70、80代の年寄りばかりで、どうみても私は場違い?
σ(´ρ` )のベッドは若い子の部屋みたいだといわれました。退院までにはワンセグカードも間に合い、テレビも見えたし、本も読めた。DVDは10本ぐらい見たかな。ゲームはあまり進まなかった。
ビスタの勉強が宿題になったけど、まずまずの入院生活だったということにしよう。養生のための時間を楽しく過ごせるようにすることで、回復力アップに貢献してくれたと信じます。

σ(´ρ` )の数々の我がままを聞き入れてくれた家族、友人たちに感謝します。

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2007年3月 8日 (木)

私はチャレンジャー?

1年前の胸を切るときに随分悩み、その時は看護師さんの「最近はインプラントもいいものがたくさん出ているから」と、夫の「後で直してもらえばいいんでぇ」の魔法にかかり、で幾分気持ちも軽くなり、手術を受ける気になったものだった。

切るしか選択肢はないのだが、再発とか死とかそんなことは頭の中にはなかった。後をどうやって生きるか、自分の気持ちをどう納得させるかが大問題だった。

この1年はいろいろなことを経験して、いろいろなことを感じた。このままでは嫌だという気持ちは変わらない。切って取って、これで直りましたって訳にはいかない。元気になればなったで、やっぱりその後の生活というものがある。いつもいつも気にして送りたくない。自分の行動に制限を加えたくない。

そこで再建を決心したわけだが、直すのは大変である。
少々費用はかかるけど、インプラントで直せるのならその方法を選択しようと思っていたが無理だといわれ、広背筋皮弁法ですることになった。

また大掛かりな手術と入院になってしまう。今度は切ったときよりも入院が長くなるし…、もういいじゃないという気持ちもどこかにあるが、この体と付き合っていくのはσ(´ρ` )だし、毎日「嫌だなぁ」と思う自分が嫌である。直せるときに直しておかないと、きっと、ずっと後悔をするかもしれない。

体も気持ちもどこまで回復するか分からないけど、やってみることにする。
手術の日を決めるだけなのに、すごく緊張してしまった。小心者なんだなぁーとつくづく感じた一日だった。実は手術に消極的な夫だが、黙って頭で返事をしてくれた。

ここで軽はずみな言葉を言おうものなら、本当に離婚ものだからね。ありがとう。

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2006年11月 2日 (木)

ひまわり会

県立病院の乳がん患者の会です。第4回患者会が10月29日(日)にありました。

σ(´ρ` )は初めての参加なのでよく分かりませんが、ブレストケアチームの皆さんがお世話を下さって私たちはお客さまでした。

事前の案内状のとおり、今回は、徳島リムズクリニックの小川先生の「リンパ浮腫」についてのミニ講演があり、リラクゼーションタイムでは、ハワイアンのリズムで体をほぐし、希望者にはアロママッサージという盛りだくさんのメニューでした。

発足1年で3回開催し、手探り状態の中で、世話人の方々とブレストケアチームの皆さんの熱い思いを感じ、とても嬉しかったです。

というのが、当り障りのない感想です。
何が不満ということではないのですが、この会に参加した人は何かを求めている人だと思うのです。私もその一人なのです。

治療中の人、サバイバー歴の長い人、再発の不安を持っておられる人、傷ついた胸の中にいっぱいの思いを持ってきているのです。
それはこういう仲間の会で癒したり、癒されたいと思っているはずなんです。持ってきた思いを少しでも軽くして帰りたかったのですが、それをそのまま持って帰ってきてしまいました。

このモヤモヤした思いは、自分の意志とは関係なく、生まれる前から、生まれてからも、性、人種、国、年齢、職業、地域、未婚・既婚、子どもの有無etcと、あらゆる統計の中に組み込まれているけど、思いがけなく、がん患者の統計、生存率の統計にも組み込まれているのです。
突然こんな不名誉な登録をされてしまったという現実を、プラスの思いにしたい。だって、この病気にならないと会えなかった素敵な人たちに、いっぱい出会ったのですから。
今度の会は、もう少しゆったりした時間の流れる会になるように提案して、皆さんの思いが少しでも軽くなる会になればと思いました。

これからもよろしくお願いします。

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2006年7月27日 (木)

戻った日常生活

突然病院通いが日常になり、やっと以前の日常が戻ってきた。

元気とはいいもんだ。何が健康で何が病気なのかよく分からないが、とりあえず治療済みということで、病気じゃないってこと=健康か?

身体の変調は病気の危険信号だと思うが、それが全部病気につながるわけでもない。大抵は気力と免疫力で自己解決させてきた。それが根拠の無い自信だ。
自己解決できないようなものは、そのまま受け入れる覚悟をしていたつもりなんだけど、病気というのは弱気にして、それまでの自信と生き方を否定させるものである。

「どうして私が? 何が原因? (=’□’=)ウッソー!!何かの間違いよ。」と叫んでみても動かない現実があるから受け入れるしかない。

知らなければいけない人、知って欲しい人、分かって欲しい人、分かってもらいたい人、言いたくない人、言えない人…

治療と時間の経過によってその人たちは変わってくる。カミングアウトは慎重にしたほうがいいと思う。いくら説明したところで、相手によって受止め方は100倍ぐらいの差があるように思う。

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2006年7月22日 (土)

今だから話せる、怖~~い話

7korobi 外科の診察がありました。これで終わりのはずです。Dr.にカンファレンスをお願いして、時間を取っていただきました。

こんな経験はこりごりなので、今回の出来事をきちっと整理して次に進みたいという思いから、病理検査結果と治療で気になっていることを聞いてみました。

まず、疵痕のこと。
傷口は1本のはずなのに、追加切除のところに変なくぼみができていること。
 →切除した空洞が癒着しているからとのこと。疵痕はこのままでしょう。( _ _ )..........oァ・・・

一番気になっていたのは、良性と思っていたしこりがガンだったと言われたことでした。(。?)三(?。?)三( ?。)
大きな腫瘍(しこり自覚より3年経過)とその下に石灰化(マンモグラフィー)が見つかり、細胞診ではどちらも良性という結果でしたが、石灰化は非常に疑わしい状態だったので、大きな腫瘍とともに切除することになったのです。
結果は、石灰化のほうで断端陽性だったため追加切除を言われ、σ(´ρ` )としては追加切除が大きな命題となったために、大きな腫瘍のことは詳しくきいてなかったのです。

「細胞診が間違ってました。」って…

この大きな腫瘍は4cm以上もある代物なんです。大きく成長してくれました。知っていました。乳腺炎に違いないと言い聞かせつつ、3年前から仲良くしていたのです。これが浸潤ガンだったら…Σ( ̄ ̄ ̄Д ̄ ̄ ̄lll) ガビーン

ステージは2段階ぐらい進みます。 もっともっと悩み、苦しんでいたはずです。単なるラッキーでは済まされないと、深く反省しました。
「治療しない、何もしない」なんて強がり言っていましたが、撤回いたします。ちゃんと検診も治療も受けます。

とてもすっきりした気分になれました。
家に帰ってからのσ(´ρ` )のテンションは上がりっぱなしでした。
この傷ついた体を早く快復させて、元気なノー天気なおばさんに戻ります。
M.Dr.との出会いに感謝しています。ありがとうございました。

こういう検査結果は、患者側から要請がなくても、病気と対峙するためにも詳しく知りたいと私は思うのですけど、時間が取れないものでしょうか。
インフォームドコンセントも受けましたが、昨日のようなちゃんとした話が聞けていたら、セカンドオピニオンもサードオピニオンも必要なかったような気がするけど、それは今だから言えることなんだろうか?

まだもう一つ気になっていることは、非浸潤ガンのホルモン治療については、意見が分かれていること。これからの臨床試験で治療法が変わってくるかもしれません。(σ(´ρ` )はホルモン治療はしていません。)
外科生検じゃないと、誤診があるというのも何とかして欲しいなー。

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2006年7月15日 (土)

レッテルと看板

先日、σ(´ρ` )に会いたいといってくれるサバイバー方(3年生)とお会いしました。元気をくれようとしたのかもしれないけど、病気に対してスタンスが違うから、話が噛み合わなかった。

私は「治療は拒否したかったんですが、説得させるだけのパワーがなくて…」と言うと、「なんで~~?」と言われてしまいました。幸運な早期発見・早期治療でも3か月を要しています。
時間もお金も体力も、いっぱいいります。精も根も尽き果てた上に、大きな疵を抱えて生きていくんです。どうやって?
時間がいくらか自分を諦めさせたり、誤魔化せたりできるでしょうが、心のどこかにいつも「どうして? 嫌だなぁ。」の思いは残るはずです。

今回は、非浸潤がんであったため治療も終わり、後は定期健診でいいはずですが、再発も新たながんも見つけてほしくないです。
今までの生活とσ(´ρ` )を完全ストップさせられるのは耐えられないことです。”これ以上σ(´ρ` )から元気を奪わないで。”と叫んでも、もうパンドラの箱を開けてしまったのですから、手遅れかもしれません。
早期発見・早期治療が功を奏する場合が多いと思いますが、一度傷ついた身体の傷を癒すのは容易いことではありません。

自分につけたレッテルを看板に変えることができる日が来るのかなー?

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2006年7月 6日 (木)

サバイバーシップ

P505is0041353267_1 Tenki01_amekumori_1 七夕様ですね。
雨の日は再会できないという話が多いですが、σ(´ρ` )は雨の日はかささぎが羽根を広げて橋わたしをするという話が好きです。

私がサバイバー(生存者、経験者)の仲間入り? 自覚が薄いなー。n(ー_ー?)ン?

それは突然にやってきて、ものすごいスピードで駆け抜けていったような気がする。
消すことのできない傷跡を残して・・・

過ぎ去った過去のこととして葬りたい。

治療が終われば、もう病院から解放されたい。
時間をやりくりしながら仕事を続けることができたのは、逃病後は今までの日常生活に戻りたいという、精神な支えになっていた。
健康の自信を奪われ、これで仕事までなくなってしまうと、生きる気力も失い引きこもりの生活が始まっていたかもしれない。

元気の素は家族であったり、仕事であったりするけれど、今回のσ(´ρ` )は誰かのために生きたいとは思わなかった。自分のことしか考えられなかった。
これまでの人生、いっぱいいろんな事して、いっぱい頑張って、いっぱい失敗して、いっぱい愛して、いっぱい愛されて…ずっと見てきてくれたよね。

最期まで自分らしくありたい。それができなくなるのなら、もう終わりにしてもいいんじゃないかと思っていた。それは今も変わらない。人生80年なんて思うから、残りが惜しくなるけど、濃縮された人生と思えばそう悔しくもなかった。

サドンデスとエンドレスには耐えられないけど、カウントダウンはそれなりの準備ができるというものではないだろうか。

十年戦争とも、終わらない嵐とも言われる病気だけど、知らないことは幸せなことであると思っているから、一病息災というように再発しても仲良くしていきたいのだが、こういう考えは間違っているのだろうか。

まさに人生をリセットされたような気持ちだけど、これからのσ(´ρ` )は、今までの私じゃダメって事を言われてるのだろうか。

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2006年7月 2日 (日)

運がいいのか悪いのか…

あ~~ぁ、早いー!今年も半年が終わりました。
嵐が来る予感も無く、平穏な滑り出しでした。

今年のモットー
笑って飛ばそう嫌なこと
いつも前向き ポジティブに
って、日記に書いてありました。

ちょっと気になることといえば、年末から入ってきた新人さん(35歳・♂・独身)の付き合い方がよく分からなかったことでした。
このちょっとしたストレスに身体は耐え切れなかったと思います。

2月の末に腹痛で動けなくなりました。
急性虫垂炎で、入院、手術。これだけでボロボロなのに、この後、乳がん発見でさらに、σ(´ρ` )はオンボロ雑巾になったのでした。

初めての「患者様」
患者になるのって難しい。シルバー世代のおばさんみたいに何でも言えばいいってもんじゃないし、言わなきゃ伝わらないし、されることにも、してもらうことにも慣れません。

健康のありがたさを痛感。
動けない苦しさ、「寝れば極楽」なんて、誰が言ったのよー。じっと寝てるなんて、苦痛以外の何物でもありません。
外せない点滴。栄養は口から取りたいよー。

一人じゃ抱えきれないもの。
不安、心配、恐怖、怒り、悲しみ、諦め、いろいろな思いが襲ってきます。
泣いたり、怒ったり、思いっきり落ち込んだり、出てくる感情を外に出してやると少し気持ちが落ち着きました。
家族、兄弟、肉親の支えと、友だち、同僚の協力はありがたいです。こんなところで無理しないで素直に甘えましょう。

今、振り返ると発病するのは、あの時期をおいてなかったのだと思うことにしました。

3月1日 緊急入院(急性虫垂炎)。
3月6日 退院。
3月8・9日 高校入試。(姫)
3月15日 中学校卒業式。(姫)
3月21~24日 入院(乳がん摘出手術)
4月10日 高校入学式(姫)、引越し(次男:東京引上げ)
4月16日 カナダに旅立ち(次男)
4月21日 再手術(日帰り)
5月8~6月13日 放射線治療
7月 会社再編のため部署移動。登録会社の変更。
7月15日 部署引越し

一応一段落ということで、後半は復興快復にかかります。
先日、看護師のKさんとHさんが打ち上げをしてくれました。
良かったことなんてないけど、みんなの優しさと、出会えなかった人たちとの出会いに感謝しています。

泣きべその母に姫さまからのメール(4/21)がありました。
  何回転んだっていいさ
  すりむいた傷をちゃんとみるんだ
  真紅の血が輝いて
  君は生きてると教えてる♪


  元気を出して さぁ涙を拭いて
  やっぱり笑顔が君には似合うから

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2006年5月29日 (月)

ハンディキャップ

Matubagiku Tenki04_haretokidoki_1 なんだかんだと言いながらも、放射線治療も折り返しました。
シフト勤務があるため、スタッフにお願いしてずっと遅番に変更してもらい、大幅な迷惑をかけることもなく、無事終了できそうです。病院に寄ってからの出勤です。

健康と安全はタダと思っていた、ちょっと前のσ(´ρ` )。

腫瘍摘出手術が決まった日、ある程度覚悟はしていたものの、そう簡単に割り切れるものではありません。ハンディを持って生きるということがどんなものであるか分かりません。
今は服を着ていればいたって元気なσ(´ρ` )のはずです。抗がん剤の副作用で髪の毛が抜けているわけじゃないし、体が不自由なわけではないのですから、見た目には何も変わりません。
女性スタッフ以外はσ(´ρ` )が乳がんの治療中であることは知らないし、上司も勤務がおかしいと思っているかもしれませんが、言ってありません。

「早く見つかってよかったね!」 それは元気な人が言うことで、(手術なんて)するんじゃなかったー。最近ようやく以前の生活を取り戻し、口うるさいσ(´ρ` )になりつつありますが、あの日から生活は一変してしまいました。どこかにそういう思いがあります。こんな体イヤです。

きっとまだ「がん」を受け入れていないσ(´ρ` )がいます。逃げたい!ウソだと言ってほしい。この傷を治してもとのσ(´ρ` )に戻りたい。「私はどこも悪くない~~~!」って!
がんの治療も大変ですが、元に戻すのも同じくらい大変です。

ハンディとは行動を制限されること。小さいときからハンディを感じたのは「女だから…」ということぐらい。それが風邪を引いても病院にも行けない(風邪ぐらいでは行かなかったくせに・・・)。温泉にも行けない(あまり好きじゃないくせに・・・)。自分で制限をかけるなんて考えてもみなかった。

抗がん剤で闘っている人に比べるとなんでもないことかもしれないけど、普通の生活を送るためには、かなりのハンディです。
早期発見はラッキーなことですが、生活が一変したことも、胸を失った哀しさは同じです。一度失った健康は戻ってこない。まだ逃げられない現実がある。

闘うだけの元気はないけど、逃げてる姿勢に問題がある?

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2006年5月19日 (金)

逃病記

Tenki04_bouhuuu  逃病日記の様相を呈してきたが、早く抜け出したいよー。

やっと8回終了。まだ1/3。長いよー。毎日かなりのストレスです。
日曜日なのに、「あーっ、病院へ行かなきゃー!」って目が覚めたぐらいプレッシャーがかかっているのです。明日とあさっては解放されるって身体に言い聞かせておかなきゃ。

そんなこっちの気持ちも知らないで、放射線のK.Dr.ときたら、先週の診察の時に「まだ3回かー。」なんて言うんだよー。だから「ひどい!!」って怒ったら、次の時は「1/4が終わったね」だって。(´Д`;)/ヽァ・・・
カウンセラーのKさんが「増えることはないから、毎日減るからね。」って言ってくれたおかげで、少し気持ちを変えることが出来ました。

今日は外科の診察もありましたから、雨も降っているしいつもより早目に出ました。放射線科はスムーズに済んだのですが、緊急の患者さんでもあったのでしょうか、10時で1時間遅れの状態でした。当然、1時間以上待たされました。(当然、遅刻)
別にこれといった診察をするわけじゃないんですが、血液検査の結果と乳房再建の話をして5分ぐらいで終わりです。まだ先になるけど、よくなるという話は元気がでます。

血液検査はまだ多血症ぎみだが、数値は減っているので様子をみることになりました。これは水分補給では直らないらしいです。白血球は問題なしです。

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2006年5月15日 (月)

血液の話-貧血と多血症

Tenki04_harekumori 放射線治療は6月13日まで続きます。それまで毎週木曜日は血液検査が入ります。

今回の結果では、赤血球の数値が高いといわれました。タバコを吸っている人は数値が高いらしいです。タバコは娘が生まれたとき(15年前)に止めました。

多血症は、血液中の赤血球が正常範囲を超えて増加した状態で、赤血球増多症とも呼ばれます。さらさら血液じゃないってことです。

よく分からないから、今までの健康診断(過去3年間)のdetaを出してみた。
ずっと赤血球数は「H」(高い)で基準値以上ですが、ヘモグロビン(Hb)濃度は毎年「L」基準値以下で、軽度の貧血だと言われていました。
とうとう去年の健康診断では、貧血が進んでいるため、精密検査をするよう言われました。ヘマトクリット(Ht))も「L」に落ちていました。

息切れは感じてたのですが、特に疲れやすいとか、めまい、立ちくらみがするということもないため、気にしないようにしていたのです。虫垂炎の時には、かなりの酸欠状態であったと思われます。(担当Dr.にめちゃくちゃ言われちゃった。)

血液って何?

人間の血液は血球(約45%)と血漿という細胞から成り立ち、血球には、赤血球・白血球・血小板の3種類あり、その95%ぐらいは赤血球です。血漿は90%の水と、約7%の各種たんぱく質、その他ビタミン・電解質で構成されています。

赤血球の90%以上はヘモグロビンというたんぱく質から成り立っています。このヘモグロビンが赤い色をしているため赤血球が多くを占める血液も赤く見えるのです。

肺で取り込まれた酸素を全身に運ぶ働きをしています

全血の中の血球の割合を見るのがヘマトリック(Ht)です。

この虫垂炎の手術のあと、鉄分補給のサプリメントを1月ぐらい飲んだため、貧血は解消され造血されたため、赤血球の数が増えたんじゃないかなー(?)と思っています。

σ(´ρ` )はデジタル表示されるのは好きではありません。一度崩したバランスを取り戻すために、薬を使うのも好きじゃないんですが、悪いと言われるのもイヤだしなー(´・ω・`)くすん…

お酒ならいくらでも飲めるけど、あまり水分も取れてないと思う。栄養補給が今まで以上に要るって言われたけど、食べるの面倒くさいしなー。
このままだと、もっと悪い数値が出ると思うと憂鬱///orz///ズゥゥゥゥン
でも、努力してて悪い数字が出るよりいい?(そう思うことにしよう!)ウ・・ ウン(・_・)

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2006年5月10日 (水)

メンタルケア

今週から放射線治療が始まりました。

月曜日、放射線治療の説明のあと渡されたものは、何十枚もの予約券でした。これを消化していくのかと思うと、目の前が真っ暗になりました。
昨日CT撮影をして、今日、治療計画が立てられ、私の胸には赤い線がいっぱい引かれました。
これから週5回×5週間、1回2Gy照射されます。

σ(´ρ` )にとって、病院というところはちっとも慣れません。体が拒否しているのが分かります。仕事を続けながら、これが日課となる一月は長いです。

母の顔、妻の顔、姑の顔、仕事の顔、自分の顔、いろんな顔を作ってきましたが、さすがに患者の顔は上手に作れないようです。病院に行く日は元気の無い顔をしてるんでしょう、娘は黙って見つめパワーを送ってくれます。

今日もカンファレンスルームで、カウンセラーのHさんやKさんに甘えてしまいました。いつの間にか不安の鎧が、マウスピースとグローブに変わっていました。

以前の強気のσ(´ρ` )はおりません。これが今の本当のσ(´ρ` )なのです。もう少し支えていてください。

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2006年5月 2日 (火)

衝撃的な日 M.Dr.との出会い

M.Dr.は優しい目をしています。

3月9日の先生との出会いは必然だったのでしょうか。

この日は虫垂炎の抜糸をするための診察で、担当はU.Dr.です。何も言わなければ、これで終わりのはずだったのです。病気知らずのσ(´ρ` )は、順調な体の回復とは裏腹に精神的なダメージをかなり受けていました。
こんな弱気になっているσ(´ρ` )が、前々から気にはなっていた、胸のしこりのことをU.Dr.にそーっと相談していたところに、看護師のHさん(カウンセラー)が現れて、すぐにM.Dr.(乳腺・甲状腺専門医)の診察を受けることになりました。

この日は木曜日で、先生の外来の日ではなかったはずなのに…。
先生は強引でした。

視・触診のあと、すぐマンモグラフィを撮り、画像診断の結果、しこりの下側あたりに、触診では分からない、がんを疑わせる微細な石灰化が発見されたのです。
虫眼鏡を使わないと分からないような、砂みたいな白いものが点々とありました。「カテゴリー4」とか言っています。こんなものが がん?(ー△ー;)エッ、マジ?!!!
 カテゴリー1 異常なし
 カテゴリー2 良性 
 カテゴリー3 良性、ただしがんを完全に否定できない 
 カテゴリー4 50%以上の確率でがんが疑われる 
 カテゴリー5 ほぼ100%がんと考えられる

次は、「良性」か「悪性」かを診断するために、超音波検査をして細胞診をしました。Breastca_no5_1 しこりの方の結果は「良性」でした。こちらはDr.もあまり問題にしていませんでした。問題の石灰化の細胞診は痛かったー。・゚゚(ノД`)あ゙~ん

この2度目の細胞診の結果の時、診察室にはM.Dr.のほかにあのU.Dr.と研修医の女医さんと看護師さんが並んでいました。ェェェΣ(○A○)ェェェェ

結果は一応「良性」だったのですが、Dr.は摘出して生体検査が必要だといいます。(もう逃げ出したかった。)

この時のM.Dr.は、ハードディスクの故障したPCか、ウィルスにかかったPCの修理を頼まれた時のσ(´ρ` )のように、嬉々としていました。”あ゙~、やっぱり外科の先生だー。”って思わずにはいられませんでした。
アレヨアレヨといううちに手術(3/22)が決まっていきました。

私もそこまでの心の準備はありませんでしたから、かなりのパニックです。
家族の者も、何が起こっているのか分からなかったと思います。

これから、気持ちの整理がなかなかつかず、σ(´ρ` )は壊れていくのです。

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2006年4月28日 (金)

病理結果と本当の気持ち

早っ!
M.Dr.の顔が嬉しそう。「断端マイナスです!」

追加切除の手術から1週間なのに、もう結果が出ました。
σ(´ρ` )はめんどい患者さんと思われてるのかなー? 外来診療に間に合うように看護師さんが頼んでくれていたらしいです。
すぐにカウンセラーのKさんが呼ばれ一緒に喜んでくれました。すごく気を遣ってくれているのが、すごく嬉しかったです。

乳房内のがんは全て切除されたことになりました。これでやっと次に進みます。
でも、気分はブルーです。ごめんなさい。
ここまで来た以上、子どもみたいなことは言いませんが、本当のところはもう止めたい。もう傷つけたくない。

「手当て」には「人」の温もりを感じますが、「治療」には苦痛と我慢の構造のイメージが離れないのです。どうも「物」扱いされているような気持ちになるのです。

温存療法による放射線治療の意味はあくまでも「温存乳房内」に残っている可能性のあるミクロの病巣を根絶することです。
諸外国におけるデーターでは「温存手術のみの場合、術後10年間で約15-40%に乳房内再発が見られるが、温存手術+放射線照射により、乳房内再発を2-10%に減らすことができる」という結論が得られており(生存に関しては両者は同等)、欧米では乳房温存手術後に放射線治療を併用することについてはコンセンサスが得られており、日本でも乳房温存治療は、乳房部分切除手術に外部照射をあわせて行うのが一般的です。

逆な見方をすれば、「少なくとも60%の人は放射線治療を受けなくても局所再発がない」つまり「半数以上の人は不必要な放射線治療を受けている」ということです。(もっと言えば2-10%の人は放射線治療を受けても局所再発する、ということでもあります。)

「局所制御率の15%の向上」という恩恵と「1ヶ月間(5週間+α)も毎日治療に通うのに必要な時間・体力と経済的負担」という代価を秤にかけると、σ(´ρ` )自身はNO!です。

家族、親、兄弟、友達、これまで一生懸命ケアしてくださった周りの方々、自分一人で生きているわけではないですよね。こんなふうに考えるのはσ(´ρ` )の我がままなのだと思います。生かされているんですよね。

「良かったねー。」と一緒に喜んでくれた人の顔と声は忘れません。ガン・.。*ヽ(*´∀`*)ノ・.。*バル!

σ(´ρ` )ってかなりな医者ぎらいだったのね。初めて知った。

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がんばらない

Ganbaranai 先週(4/22)の、「世界一受けたい授業」を見て、
鎌田 實 先生の「がんばらない」を買ってきました。

話の中の「4つの痛み」を、心に刻み付けたいと思いました。
1.体の痛み
2.心の痛み
3.やりかけた仕事のこと、子供が心配という社会的な痛み
4.この世から居なくなるというスピリチュアル(精神的)な痛み

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2006年4月26日 (水)

藁をも掴む思い?

胸は女の命!と言い放った友達。その命を失いそうなσ(´ρ` )は何なの?

乳がんの直接の原因はわかっていませんが、

・母親か姉妹に乳がんになった人がいる
・カロリーの高い食事、動物性脂肪の多い食事を好む肥満気味の人
・初潮年齢の若い人
・閉経年齢の遅い人
・出産回数が少ない、あるいはない人
・最初の出産年齢が遅い人

などが乳がんにかかりやすいと考えられています。あえてσ(´ρ` )に該当することと言えば、動物性脂肪の多い食事を好む少々肥満気味(?)の人ということぐらい。どれも該当しません。

どこからの情報かは分かりませんが(色々調べたけど出てこなかった)、ワイヤーブラが原因で乳がんが増えているのではないかという説があるそうです。金属ワイヤーで胸を締め付け、血流を止めてしまうのに問題があるのではないかと...。

σ(´ρ` )のこの貧乳をいくらかでもかっこ良く見せるための必須アイテムは、ワイヤーブラだったんですけど、これが乳がんの原因?

今は言われると何でもそう思ってしまう弱気なσ(´ρ` )ですが、そう間違っているとも思えません。大手ブラメーカーの最近の傾向としてはソフトブラになってきているし、ワイヤーの素材とか装着部分は変わってきています。

そんな商品チェックも考慮しつつ、娘にはワイヤーブラは使わない方向を選ばせたいと思っています。こんな辛い思いはさせたくないですものね。

こういうことから、どんどん民間療法に入っていくのだろうか?

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2006年4月21日 (金)

再手術

Mimai4221_1この手術室は3回目です。
1回目(3/1)の救急センターからここまではすごーく遠かった。腕には点滴、鼻と尿管にはカテーテルが入っています。
全身麻酔でしたから、手術室でマスクを掛けられた後は、Dr.の顔とライトを見ただけで記憶はありません。

2回目(3/22)も全身麻酔ですが、救急ではないので、手術前日から入院して問診、OTTOたちもインフォームドコンセントを受けました。説明の最後に先生が「中止もできます。」って言ったので、「止めましょう!」って言ったけど、誰も聞いてくれなかった。
この時はすごく長~~い廊下の奥の手術室に入って、マスクをかけたところまでしか覚えていません。Dr.に会ってない。

今回は局部麻酔の日帰り手術ですから、手術着に着替えて自分の足で手術台に上がります。右腕は点滴、左腕は血圧計で固定され、体のあちこちに何か貼り付けてます。
患部に大きなブルーの布(?)をピッタリくっつけられたような気がします。
患部の周りに打つ麻酔の注射が痛いかった。( ┰_┰) シクシク

手術前日に時間確認の電話を入れた際に、音楽が聴けるか聞いてもらったんです。OKの返事をもらったので、iPODを持って行ったのに、電子メスを使うのでNGでした。手術室は音楽も流れていませんでした。

M.Dr.(主治医)と新米Dr.の会話はとっても不安でした。M.Dr.の指示の通りできてないみたいだもの。この新米Dr.外科に向いてないと思う。先生のイライラする気持ちも分かるけど、お願いだから触らないで!
全身麻酔は何も分からないけど、局所麻酔はきっとやりにくいでしょうね。患者を前にして怒れないものね。

先生は「痛かったら言ってください」って言うけど、その時に打つ麻酔注射も痛いんですけど~~。ウワァァ━━━━━。゚(゚´Д`゚)゚。━━━━━ン!!!!

時々ナースが声を掛けてくれるんですが、あまり答えたくないんです。

痛みはないとはいえ、切ったり、引っ張ったり、押さえたりされた時間は30分~40分ぐらいです。こんなこと初めてだったら、絶対気絶してる!!
こんなことをされている自分が、すごく可哀相で、惨めで涙が出てきてしまった。

これでオペは終了!あと、外来で説明がありますが、待ち時間の間、涙が出て止まらなかった。

M.Dr.は、転移の心配はないんだからと、私の苦しみには触れようとしませんが、触れないことが優しさなの?

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2006年4月20日 (木)

オペ前日騒動記

σ(´ρ` )の甘え

OTTOには事情説明をして出した結果を報告という形で、事を進めてきました。会話らしい会話はありません。
毎日朝早くから家を出て、帰りは10時、時には日付が変わっている時があります。そんなOTTOに相談はできなかったのです。今までだって、一人で考え一人で決めてきたし・・・そんなこと慣れっこでした。

今回のことはσ(´ρ` )のキャパを超えている問題なので、相談相手は息子夫婦になりました。彼らは職種はちがいますが、病院勤務のため話もしやすく、息子たちの優しさに甘えてしまっていました。

明日に迫った、再手術の時間の変更があったことと、手術の所要時間などを報告しました。OTTOは追加切除に納得していなかったのです。手術のことも納得がいかないのでしょう。病院に対して、Dr.に対して不満を言い出したのです。

なんで、今更そんなことを言うの? 分かってもらってないという、悲しさ、寂しさ、悔しさが一度に押し寄せ、切れちゃった!

「もう手術はしない!何にもしない!」・゜゜・(/□\*)・゜゜・わ~ん
まるで駄々っ子です。やっぱりどこかが壊れてます。

長男からの電話の説得にも応じず、怒らせてしまいました。きっと呆れちゃったんでしょうね。
長男が怒ったことで、自分の甘えに気づきました。すごく迷惑を掛けている。長男たちに相談する前に夫婦の問題だってことに気づきました。バカーヾ(´゚д゚`)ノ゛
OTTOもひどいです。こんなσ(´ρ` )を放って自室に引きこもってしまいました。

気分は土砂降り

こんなことになるとは思ってないから、引き受けた仕事がまだ残ってるんです。もう延ばせれません。溢れる涙を拭きつつ仕事を片付けていくうちに、一人で生きていく! という結論に達し、起きてきたOTTOに「離婚してください!」

どうしてそうなるのか理解できないOTTOも、σ(´ρ` )の気持ちは伝わったみたいです。少し反省したかな? σ(´ρ` )も一番身近な人に助けてもらわないといけないのに、変な遠慮か気遣いがあったのでしょう。今回は、σ(´ρ` )を優先してほしいとお願いしました。やっぱり一人じゃ生きていけない!(_ _|||)

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2006年4月19日 (水)

私の中のテロリストたち

仕事が思うようにすすまないため、締め切りのプレッシャーが高まる。どうしようハァ━(-д-;)━ァ...

Officeで暇に任せて、闘病している方々のブログを渡り歩いてしまった。みんなすごく頑張ってるのね。どこからそんな元気が出るの?

σ(´ρ` )はきっと嫌な患者なんだろうなーと思う。
戦わないで、なんとか共存する方法はないの?
きっとそこが治療に消極的な原因になっているのね。だって、全部自分なんだもの。上手くやろうよ。今まで上手くやってきたじゃない。これ以上傷つけたくない。

多国籍軍に悪の巣らしきものを撃退していただきました。あとは見張っててあげるから頑張ってごらん。また何かあったらいつでも行ってあげますよ。でも、うまくいかなくても責任はないからね。って感じにしか思えない。σ(´ρ` )はイラク?

弱味を出せば何かはしてくれる。検査の追加、薬の変更、追加…。この間、そんな治療をいっぱい見てしまいました。

そんなことを望んでいるわけじゃない。この不安を取り除いてもらいたいだけなのに、うまく伝わらないのよね。

病気と対峙する方法はいっぱい教えてくれました。でも、その後の自分と対峙する方法は誰も教えてくれない。この痛みは同じ苦しみを味わった人しか分からないのだろうか。辛さは人それぞれだから、だれも分かりっこない。

どうしてそんなに強くなれるの? もう頑張りたくない。

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2006年4月13日 (木)

決 断

人口比では全国屈指の病院の多い県です。病院には困りませんが、わが家の家計簿の「医療費」に記入があるのは、σ(´ρ` )が時々使う歯科ぐらいなもの。それも10年以上罹っていないのに、そんな病院と長~~いお付き合いをしなくてはいけないとは少々気の滅入る話である。

県立病院のすぐ隣にある大学病院に行ってきました。さすがに、大学病院って人がいっぱいいるのね。皆さん、どこかお悪いのね。

一見、σ(´ρ` )は元気です。どこも悪くありません。洋服の下には2か所のメスの痕があるんです。3月に急性虫垂炎で手術。その後乳がん発見! 1月のうちに2回も手術をしてしまいました。

信じていた自分の体に裏切られた気持ちで一杯ですが、可哀相なのはσ(´ρ` )だけじゃなかったのよね。きっと。ずっとSOSを出していたのにσ(´ρ` )が気付かなかっただけ。気付いていたけど無視してたのかも…

大学病院のセカンドオピニオンでは、NCCNのガイドラインに沿ったスタンダート治療の説明を受けました。

Byourikensa_1 私の乳がんの場合、術後の病理検査で「組織型」としては「非浸潤がん」であることと、「断端」が「プラス」の結果がでているため、追加切除を言われました。
また、「ホルモンレセプター」が「陽性」であること、「核異型度」は「非面疱型」であることが分かりました。

M教授の話では、「断端」はマイナスであることが前提であるということ。がんが残っているのをそのままにして置くのはガイドラインに沿った治療方法ではないという考えです。

マンモグラフィー検診の普及で早期発見率が高りましたが、乳房温存治療の歴史がまだ浅いことと、今はまだ、転移の可能性がある乳がんが90%を占め、σ(´ρ` )のような早期の転移の可能性のないがんは10%ぐらいということなので、日本にはデーターがあまりないのです。

今回のセカンドオピニオンは長男に付き合ってもらいました。彼も納得しました。σ(´ρ` )決断するしかありません。((((_ _|||))))ドヨーン 辛いなー。

来週、追加切除の予約を取ってきました。

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2006年4月12日 (水)

疵 痕

3月22日の腫瘍摘出手術から20日が経とうとしている。

3月21日からの再入院のブログはまだ書けない。

術後、乳房の上部に8cmほどのメスの痕がある。傷口は細いテープが縦に何本も貼ってある。最近のテープは粘着剤のかぶれもなく、バンソウコウは貼りっぱなしである。これが乳房でなかったら、なんでもない怪我に見えるだろう。全然なんてことはない。傷口が痛んだのは、手術直後半日だけだし、縫った糸があるわけじゃないので盲腸とは大違いである。

私のAカップの立派な乳房から、かなりの切り取ったはずなんだけど、形は以前のままで変わらない。(術前よりいい形になったかも?)

触った感じはプヨプヨしてます。切り取った後は「水が溜まります」と言ってたけど、こういうことなんだ。フムフム(*゚Д゚)φ))ナルホド!! 揺れると中で「ピチャピチャ」音がします。このままずっとこのままの状態かと思ったら、吸収されてしまうんだって。

昨日当たりから、疵口が薄くなるにしたがって、肉がなくなっているのが分かるようになりました。肉はもう戻ってこないもんねー。疵痕が消えるのと反対に胸のくぼみは大きくなるのね、きっと。

これからさらに追加切除というのは、やっぱりきついけど、更年期障害というのも想像できないしなー。( ;∀;) カナシイナー

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2006年4月 8日 (土)

もう泣かない!

昨日は、2回目の主治医の予約外来の日でした。

月曜日(4/3)は退院後最初の外来診療ですから、病理結果を聞く日です。どういう結果が出ようと、もうこれ以上何もしたくないという完全な拒否反応から、OTTOが一緒に行くと言ってくれたのですが断りました。

今回は先日、セカンドオピニオンを受けてNちゃんと話をしたこともあり、治療方針の違いについてはあまり言えなかったけど、少し前向きになってきたことを話しました。

腫瘍切除が決まった時(3/9)から、σ(´ρ` )の落ち込みようはひどかったのです。すぐカウンセラーのKさんとHさんがついてくれました。そのお蔭で、娘の卒業式は明るい顔で出席することが出来ました。

昨日もカウンセラーのKさんが横で一緒に聞いてくれていて、診察の後、Kさんに感じていること、思っていることを聞いてもらえました。解決できない問題を持って帰ってもどんどん落ち込むだけなのです。どうしようもない思いを少しでも軽くして家に帰ると、それが元気になりました。

頭の中のモヤモヤもかなりすっきりして、冷静に考えることができるようになりました。長男に自分の考えを聞いてもらうと、これだけ悩んで診療方針も違いがあることが分かったのだから、隣の最先端医療機関である大学病院でもセカンドオピニオンを受けるべきだというのです。

大学病院のM教授は知り合いのご主人ですから、取り次いでいただきました。もう少し悩んでみます。でも、もう泣きません。病気と対峙することができます。みんなのお蔭だと思います。ありがとうございました。ガンバ!o( ̄へ ̄o)(o ̄へ ̄)oガンバ!

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2006年4月 6日 (木)

セカンドオピニオン

Nちゃんとブレストケアの専門病院でセカンドオピニオンを受けてきました。評判の先生らしいです。診療時間外の早朝を相談の時間に当てているということで、7時半の予約でした。

Rinshou 主治医から紹介状とカルテの写し(?)と生検結果をいたただき、説明を受けました。自分の病状がどのようなものなのかはよく分かりました。「非浸潤性乳管癌の基礎と臨床」篠原出版新社(5,000円)を読んで勉強するよう勧められました。

主治医と微妙に治療の方針が違います。どちらも標準的ガン治療の範囲内です。

主治医は、追加切除と放射線治療ですが、セカンドオピニオンのDr.は、放射線治療とホルモン治療追加切除はしない)を勧められました。

早期発見、早期治療なので選択肢はたくさんあるんです。どのリスクを選ぶかは私次第ということになります。乳房切除をすれば100%再発の可能性はないのですから・・・。Nちゃんは乳房切除を選択できる人なんだそうです。私の中にその選択肢はありません。

もう少しお勉強をして結論をだそうと思います。

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2006年4月 5日 (水)

マイペース

Sss     一つ!数えて進めればいい、
  二つ!数えて休めばいい、
  三つ!数えて考えりゃいい、マイペースで進めればいい

時が流れ 取り残され 焦る気持ちを忘れる勿れ
無謀な挑戦 所詮無駄と 言われて諦める事勿れ
オフェンス!苦しい時にこそ声を出して行こう
オフェンス!自分が目指している方へ向かえ

そびえ立った大きな壁に 恐れることはない
答えのないこの人生を 迷う事無く Keep My Pace

   ……………………

一度聞いただけだけど、ズーンと来てしまった。Σ( ̄ ̄ ̄Д ̄ ̄ ̄lll) ガビーン 

入院中はずっと聞いていた。

病気と対峙できないでいる自分がいる。体と心がバラバラでかなりの距離がある。どこかで予想はしていたことだが、それは人ごとであったのだ。私に限ってそんなことありえない~~、という自分がいる。

だから拒否反応しか出ない。Dr.の診断が間違っているわけでも、不満があるわけでもない。このモヤモヤした気持ちをどうにかしたいだけ。判断能力0である。(_ _|||)

乳腺専門の病院を教えてもらったので、主治医の病院から紹介状をもらってそこでセカンドオピニオンを受けることにしました。付き添いはNちゃん(嫁さん)にしました。元気をください。

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2006年4月 3日 (月)

生検結果

生検は生体組織検査のことで、腫瘍の組織を採取して顕微鏡で観察(病理診断)し、悪性かそうでないかを判断するものです。細胞同士のつながりも確認できるので、診断としてはもっとも確実な方法です。細胞診をしてもはっきり診断がつかない場合などに行ない、しこりがある場合はこれでほぼ確実に悪性かどうかが判明します。

この手術は大抵の場合、外来で局所麻酔でしこり部分を摘出するのですが、σ(´ρ` )の場合、しこりが大きかったのと、その下にあやしい顔つきの影がマンモグラフィーで見つかったため、3月21日から3泊4日の検査入院という名の、全身麻酔の腫瘍摘出手術でした。

これで悪性という診断が出れば、改めて根治手術(腫瘍の周りをもう少し多めに切除する)を行います。2度も手術は嫌だから大き目に切除したはずなのに、断端陽性の結果が出ているため、追加切除と放射線治療が必要だと言われてしまいました。

乳管内にとどまっている乳がんを「乳管内がん」または「非浸潤がん」といいます。乳管の外まで拡がっているものを浸潤がん」といいます。

「非浸潤がん」は乳管内なので、転移の可能性はありません。転移を心配する人は乳房全部摘出する方法もあります。

「浸潤がん」の場合、リンパ節に転移したり、血液やリンパ液の流れによって遠隔転移の危険があります。

σ(´ρ` )の場合、乳房温存術です。温存した乳房に放射線照射を追加することにより、乳房内の再発の危険を減らすことが期待できるので術後薬物療法として放射線療法が行われます。追加摘出手術も嫌です。放射線治療も嫌です。

Tnmbunrui_1 医学的に見れば、早期発見早期治療の典型的なものかもしれません。もっとひどい人から見ればとてもラッキーなことだとは思いますが、病期が何であれ、自分の中に「がん」を作っていることに、許せない自分がいるんです。

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