病気

2007年12月17日 (月)

QOL(Quolity of Life)

Tanpopo 時間の感覚が分からない。長かったような、早かったような・・・
「早く感じる」= 「そこそこ幸せ」 と、あずきさん理論は正しい。

職場の人がガンで亡くなったという話を聞いた。春に一度入院して摘出手術を受け、抗がん剤治療を受けながら、一時職場復帰もしている姿も見かけたが、その後再入院して3か月ぐらいである。早すぎる・・・。

どうしようもないことだけど、これは人ごと、運が悪かったで片付けていいのだろうか。
同じ病名をもらった者としては、いくら強がりを言っても少なからず反応してしまう。

σ(´ρ` )の病院通いが始まったのは去年の春だったのだ。私の場合は、何となくそう予感していたし、覚悟もしていたけど、突然告知された家族はたまったものじゃなかっただろうと思う。

生きていく中で大きな出来事に遭遇するのはそうあるものではないが、突然、前方敵発見!急遽、多国籍軍編成、戦闘準備OK。砲撃開始~~!!
なーんて言われても、心の用意も戦闘準備もできてないのに、私一人だけでなく家族ともども裸で戦場に放り出されるようなものだ。

今度遭遇しても、話が分かる相手ならまだしも、寄ってたかっていたぶるのはやめてくれ!

1年を待って、再建手術をしたのはまだ今年なんだ・・・。
みんなも遠い昔のように感じているのに、生活もようやく元のリズムに戻っているのに、また心配と負担を掛けるのも申し訳ない。
しゅがーの高校生活3年間が私の闘病記となるのもなんだかなぁー・・・。術後、なんだかんだと半年ぐらいは落ち着かないからねぇー。

胸に時々聞いてみるの。「もっとキレイになりたい?」って。
私自身は、それほど気にはならないまでも、もっと自然な形になるのならしてもいいかなとも思うが、どうでもいいようにも思えるし・・・
とりあえず、来年の修復手術は見送ることにする。

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2007年5月24日 (木)

それはないと思う

一人暮らしの母が眼の手術をした。
涙道が詰まって眼から涙がこぼれて困っていたらしい。

1月前、近所の眼科から紹介状をもらって大学病院に初めてきたわけだが、手術の説明は何も聞いてないのに、承諾書にサインをしたσ(´ρ` )。手術が終わって、治療結果の説明もなく家に返された。私は担当Dr.の顔を見たことがない。

母は無病息災な人で入院なんかしたこともなく、ましてや手術は初めてである。町の大きな総合病院のシステムなんか分かろうはずがない。

病院からの電話連絡で手術日は決まった。それから検査の予約が入り、1週間前一人で来て手術の説明を受けてきた。その時に「付き添いの人はいないのですか?」と聞かれたそうだ。手術の説明もしますと、一言いってほしかった。

病院側は日常の常識であっても、初めて患者になる身としては非日常で常識の知識は持ち合わせていないのです。
当日、手術の内容と注意が簡単に書いてある同意書に、ハンコをついて出したけど、Dr.にすればよくある簡単な手術かもしれないけど、術後も何の説明もなく「また明日来てください。」はないと思う。

手術が終わった母を看護師が迎えにきて、外来に戻った母には看護師が手術室のDr.に電話で「この患者さんはもう帰ってもらってもいいんですか?」とのやり取りがあっただけで、こちらの予定も聞かずに、次の日の予約はしっかり入っていた。

病院までは、徳島では普通に「汽車」と呼んでいる電車で1時間以上かかるのだ。次の日、診察があるなら、狭い我が家でも泊まってもらうというもの。きっとそんなことも常識の範囲内のことかもしれないが、手術の時間も2日前に問い合わせることになっていた。

その電話番号が同意書の欄外に書いてあったが、それには市外局番は書いてなかった。そんな事とは知らない母は、そのまま電話を掛けて初めて気がついた。
間違い電話をされた先は、よく間違って電話がかかってくると言っていたそうだ。

この病院の患者さんは県下一円から来ているはず。市外局番から書くのが普通じゃないのか。いちいち患者さんの生活環境まで関知する必要はないということか。相手は70を過ぎて初めて患者になる年寄りである。もう少し細やかな心遣いがあってもいいのではないか。

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2007年5月15日 (火)

相 部 屋

起きて半畳、寝て一畳というが、カーテンで仕切られた病院の大部屋の広さは、一人当り2畳弱ぐらいだった。狭い。最近の病院は少々狭くてもきれいな個室が多いが、古い県立病院の6人部屋ともなると一日も早く退散したくなるものである。

廊下側のベッドに当たろうものなら、外も見えないし暗い。この前の入院なんか、「電気が眩しいから消して」なんて、ナースコールするばあちゃんが隣だった。
そんな眩しいほど明るいはずないだろー「σ(´ρ` )のところは暗いよ~!」とは言えなかった。・゚゚・(/□\*)・゚゚・わ~ん

部屋で一番若くて自由に動けるσ(´ρ` )は息が詰まりそうなカーテンなんか開けて、明るい日差しと空気の流通をよくしたいのだが、みーんなカーテンをしっかり閉めてるのよねー。
息を潜めてベッドの上というのも苦しいものだけど、動けない人は横にポータブルトイレを置いているし、抗がん剤治療の副作用で苦しい人もいるから、見られたくない人もいるのよね。それ以上に知らない人との世間話で消耗したくないのだ。じっと我慢の子。

私の入った病室は、みんなカーテンがずっと締め切られていた。
これは個人主義とか個人情報云々とかの問題じゃなくて、病気の疵は大きいということじゃないだろうか。中途半端な言葉で慰めて欲しくないし、傷つきたくない自己防衛策なんじゃないだろうか。

羞恥心も自尊心も自信ももぎ取られた病気のときぐらいは、狭くてもいいから個室で静かに癒したい。

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2007年3月20日 (火)

人材不足

自分の職業はどういうふうに決めていくのだろう?

親に決められたレールの上を歩くのも簡単そうで難しいが、楽な道ではあると思う。
対象として考えられるものがあるから、違うことを考えたり、すればいいのである。

志し次第でなれないものはないぐらいに自由なのに、志しが低いのか,職業意識の低い人類が多すぎるような気がする。そんなに一生懸命頑張らなくても、何となくの人生は送れる。そんな社会的風潮が物語っているのではないだろうか。

儲からない、緊急呼び出しのある診療科の人気はないということか。

ちょっと昔は、ベッド数が足りないという理由で、県立病院の産婦人科で出産するためには、妊娠と分かるとすぐに行かないと受付すらしてくれませんでした。
その頃は毎日3人ぐらいは生まれて新生児室は賑やかでしたが、今は1週間に1人生まれるかどうかで、入院中に病棟で赤ちゃんの鳴き声を聞くことはありませんでした。

県立の総合病院で、担当医の欄にパートなんていう表示を見るとは思わなかった。私の乳腺のDr.はこの3月で円満退職され病院を替わります。乳がん患者は増加しているというのに、患者会まで作ったのに、4月から乳腺外来はなくなってしまいました。こういう病院Dr.の責務は、後継医師を育てることではないのでしょうか。

持病のガングリオンが暴れだしたので予約を入れると、看護師からその日の予約は入らないと言われました。予測できないからDr.は無理にでも入れてくれるって言ったのに・・・・。ショ━━━━━(*`д´*)━━━━━ック!!
新米でも研修医でも何でもいいから治療して欲しかったーー。
予約無しだと、3時間待ちなんです。σ(´ρ` )も病気難民になる日も近い?

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2006年12月10日 (日)

爪の話

もうとっても我慢できない。
歩けない。どこでもいいから、土曜日の仕事帰りに開いている「外科」で診てもらう覚悟をした。

去年の夏、ちょっとヒールの高いサンダルのつま先がきつくて親指が痛かった。その後、爪の付け根が腫れて爪の真ん中あたりが窪んで伸びてきた。
痛みもないし、新しい爪が生えてくれば問題ないと思っていたが、爪の付け根はずっと少し腫れたような感じのままだった。

それから1年半、親指の爪の周り、特に付け根が痛くて我慢できない。
根元の赤く腫れているところに針を刺して、中のものを搾り出された。膿じゃなくてジェリー状のもの(何か聞きなれない単語)がいっぱい出てきた。
思った以上に溜まっているらしくて、何度も絞られた。痛いって言ってるのに、そこを押さえて絞りだすんだよ。。゚:;。+゚(ノω・、)゚+。::゚。:.゚。+。 ヒ・・ヒドイ
絶対この人たちは人間じゃない。悪魔だ~~。

お陰で歩いても痛みは感じなくなったけど、放っておいたらまた溜まるので、何か腫瘍かもしれないので「皮膚科」の専門医に必ず診てもらってください、だって。どんどん細分化されちゃってどこが悪いのか分からなくなってきてない?

爪に問題があるらしい。皮膚が変化したものだから「皮膚科」か。行くけど、明日行ったら、絶対に爪を剥がされると思う・・・。(。´Д⊂) ウワァァァン!

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2006年8月30日 (水)

頑張った人

Kiku_1 あー、やっぱりあの時会いに行けばよかった・・・。
あの元気なK子さんに会えないことを、今朝知った。
もうあの明るい顔も、低音の元気な声も聞くことができない。

あーショック!ガクゥ━il||li(っω`-。)il||li━リ…

もう少し頑張って欲しかったなんてことは言わない。何度も再発して、その度に手術したことをなんでもないことのように話してくれた。以前会った時には、抗がん剤の治療中で髪の毛が薄くなってきたからウィッグを用意するようなことを言っていた。

その時はまだ病気と向き合うことがどういうことか、σ(´ρ` )には全く分かってなかったと思う。自分が病気になって初めて分かった。元気そうに見えていたのは、ちっとも大丈夫じゃなかったのよね。

この面白い元気なおばさんは、σ(´ρ` )がパソコン教室に勤めていたときの生徒さん(もう7年も前)。
初めての出会いは、「ちょっと教えてください。プリンターが動かないんです。」と飛び込んできて、いきなりプリンターを取りに帰ったのがK子さんである。「サポートできません。」なんて言えないぐらいの勢いがありました。

料理が上手で、行動派の頑張り屋さん。σ(´ρ` )の大好きなタイプです。
スナックを経営し、2度の結婚・離婚を経験し、子ども2人を育て上げ、病気と闘って、きっと気の休まる時もなかったでしょうね。
年に1度か2度ぐらいしか行けなかったけど、行くと必ず、元気と一緒に惣菜のお土産を持たせてくれました。

悲報を知って電話をしたら、息子さんの声の向こうにネコの声がありました。入院する時はいつも猫のことを一番心配していたあなたですから、最後まで心残りだったと思います。

あの時はσ(´ρ` )の病気のことを言えば、あなたからもっと元気を奪いそうだったから行けなかったけど、今なら元気をあげられるのに・・・。この元気は娘さんにあげてきます。近いうちに思い出話しをしに行きますからね。

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2006年6月13日 (火)

感 謝

Sandanka Hare_4 終わった~~~。O(≧∇≦)O イエイ!!

3月(正確には2月28日)からクーデターが始まった。あれから3か月と2週間、長かった~~。

私が病気をするなんて青天の霹靂でした。病気は気力で治すもの!その信念が脆くもくずれてしまいました。
ひめ様の高校入試に卒業式、入学式と、節目の年だっただけに苦しかった。周りをひっかき回してしまった。

これで早期発見、早期治療というのだから、非情な病気です。

乳がんの勉強もしました。自分を繕うことはできなかった。

ボロボロになったσ(´ρ` )をみんなが支えてくれました。
OTTOは優しかった。子どもたちは頼もしかった。弟ファミリーからの励ましはうれしかった。母には心配をさせてしまった。

職場のスタッフの暖かい声援は本当に助かりました。

M.Dr.、カウンセラーのKさん、Hさんにはいつも支えとなっていただきました。

一人で抱えることの辛さ、伝えることの難しさ、分かってもらえない寂しさ、自分への悔しさなどなど、どうにかしたいと思うことすべてが壁となります。その壁を越える元気は、周りの者の理解がないと出てこないものです。

治療に携わってくださったすべての皆さんに感謝します。本当にありがとうございました。

どうでもいいこと(?)だけど、すごく気になること

σ(´ρ` )は2005年度の乳がん患者リストに入るの?
自然に生存率の数字の中に組み込まれてる?
「がん対策法案」で話題になっている、「がん登録制」が成立しなくても、こういう追跡調査の対象になっている事実。がん患者にプライバシーはいらないってこと?

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2006年6月 9日 (金)

言  霊

Tenki04_amekumori あれだけ病院嫌いだったσ(´ρ` )ですが、あまり抵抗がなくなりました。
終わりの秒読み段階になってきているせいもありますが、玄関でいつもカウンセラーのKさんか、Hさんが来られる人に元気な声を掛けて迎えてくれるんです。

いろんな病院でセカンドオピニオンを受けてきて、やっぱりこの病院にしようと思ったのは、カウンセラーのKさんとHさんがいたからです。σ(´ρ` )にとって、メンタルケアのできるプロがいつも近くにいてくれるということが、どんな名医よりも、どんな高度な機械よりも大切だったのです。

放射線科では、脇の痒みが増してきたというと、何も言わずに薬を出してくれました。
薬を塗った方がいいのか、タオルで冷やしてやればいいとか、そういう処方箋が欲しかったのに・・・、もっとチャンと説明してくださいよ。これが普通の病院だと思います。
でも、私はこういうやり方は嫌いです。

外科のM.Dr.は、「何か困っていることないですか?」と、聞いてくれました。なんかとっても意外でした。そうねー、別に困ってることはないなーと思いつつ(医療費が嵩んで金欠病とも言えないしね(つω`*)テヘ)、じゃー、元気なんだと思ってしまいました。
なんか、M.Dr.は不思議なパワーでσ(´ρ` )を癒してくれました。

言葉って不思議です。

その後、カウンセラーのKさんと、話題はあっちこっち飛びながら、取り止めのない話をいっぱいして、嫌なことはぜーんぶ病院に置いて、元気をいっぱいもらって帰ってきました。

貴重な人を独り占めさせていただいたご縁を大切にしたいと思います。早く私も元気をあげたい。

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σ(´ρ` )は落ちこぼれ?優等生?

Tenki04_bouhuuu_2  梅雨入りしました。

血液検査はこれでおしまい。放射線治療はあと3回。

もうここまできたらあと3回(6gy)にどのくらいの効果があるのか、ないのか・・・。
15回目ぐらいから脇の下の黒ずみが始まり、今は痒みもあります。乳房は赤くなってきました。放射線が当たっていると思われるところははっきり分かります。
目に見えない治療なので、何も変化がないというのも少し物足りないものがあるけど、目に見えてくるというのも嫌なものである。

今のところこれといった副作用も出てないが、これまで2日に1度ぐらいは視診していたのに、今週はその視診もなく、こちらから血液検査の結果を聞くまで忘れているようなDr.って・・・

その答えが、こんな微妙な数値の変化を見れる先生はいない、だって。白血球の数字がほしいのは分かるけど、毎週データーを提供しているσ(´ρ` )は何?
数字も見ない、患者も診ないで何を見てくれているの?

今ごろ、腕を伸ばして筋肉をほぐしてやらないと、硬くなってしまうと言われても、少々遅くない?

薬にしても、術後の経過にしても、その人の体力次第というところがあるが、σ(´ρ` )はどうもDr.の予想を裏切ったようである。それならそれで一緒に喜んでほしいのだが、患者に納得がいかない発言はやめてほしい。

Azisai2ss 今日は優しい目の外科のDr.の診察のあと、カウンセリングの時間も取ってくれているから、少しはこの怒りも収まるでしょう。(o´・∀・`o)ニコッ♪

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2006年4月27日 (木)

健康保険のはなし

すっかり病院通いが日課になってしまった。医療費もすごいものがある。3割負担で、先月は25万を超えていたと思う。今月は6万ぐらいか。まだ来月も続く (´Д`;)/ヽァ・・・

それでも、日本の医療費は安いそうだ。


AIU保険が発表した虫垂炎手術の入院日数と医療費総額には驚かされます

 ニューヨークは1日の入院で、なんと243・9万円、香港は4日間入院で152・6万円、ソウルは7日間入院で51・2万円、日本は7日間入院で37・8万円。異常に安いのです。日本の医療がどんなに安いか、外科医の技術料がどんなに評価されていないのか、一目瞭然だと思います。

先日カナダに旅立った次男が、今回は、出発前に慌てて海外旅行保険を調べて入って行ったのには、2年前のオーストラリアのワーホリで医療費の高さを痛感したからだろう。

でも、医療費というのは技術料の評価の値段なんでしょうか。

健康保険の目的は、みなさんがいざというときのために備えて、健康で働いているときに収入に応じて保険料を出し合い(社員の健康のために事業主も負担し)、助け合うためにあります。
 自分や家族のだれかが、病気やケガになったりしたときの治療費や出産、死亡、あるいは休業中の生活費のために必要な給付(医療・現金)を行い、お互いに生活上の不安を少しでもなくしていこうという目的から生まれた制度です。」

※わが国は国民皆保険制、つまり全国民が医療保険に加入しなければなりません

σ(´ρ` )の加入している健康保険は組合保険です。今まであまりその恩恵に預かることがなかったため、毎月引かれる保険料を恨めしく思っていましたが、月25,000円を超える医療費は、後日自動的に戻ってくるのだそうです。
所定の書類を提出すると、病欠の休業補償も出ます。ゴシゴシ(-_\)(/_-)三( ゚Д゚) ス、スゲー!

そんなことちっとも知りませんでした。

保険適用外の治療費は「医療保険」を使うということになるのでしょうが、お金のない人は十分な治療が受けられず、裕福な人は長生きできるという構造なのでしょう。

財布の紐の緩かったバブルの時代、色々な保険会社に保険料を払ってきました。
バブルがはじけ、財布の紐が固くなり保険の見直しで、病気知らずのσ(´ρ` )は最低限の保険のため、今の医療状況に合っていなかったため恩恵は薄かったです。

がん特約付きの生命保険商品の中には、非浸潤性乳がんに対しては保険給付がされないものがあります。上皮内新生物(上皮ガン)であるため、保険給付の対象外と判断され、浸潤性乳がんと同様に手術などの治療を受けても保険給付から除外されるケースが多々あります。約款などに、上皮内新生物を除くと記載があるものは注意が必要です

保険料も医療費も安いに越したことはありませんが、もっと医療制度を知ることだと思います。使った者でないと分からないこの痛み、複雑すぎます。

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2006年3月 6日 (月)

7日間奮闘記 退院

Tenki04_harekumoriame  術後5日目

いよいよ退院です。傷の痛みはほとんどありません。後日、外来で抜糸します。

周りの人にも大変迷惑を掛けました。家族を始め友達がいっぱいお見舞いに来てくれました。 東京にいる次男も、「すぐ帰る!」なんて連絡があったりして、お母さんの入院は大事件です。

((*´∀`人))あ~~~幸せ! いっぱいの花に囲まれ、いっぱい愛を感じてとっても嬉しかった。たまに病気をしてみるのも悪いもんじゃない?

でも、元気が自慢のσ(´ρ` )には、かなりのダメージです。痛みがなくなり、体が元気になればなるほど、気分はブルーです。もう誇れるものがないんです。

思っていることを吐き出す相手も物もないんだもん。入院にパソコンは必須です。ユビキタス時代とはいえ、モバイルの用意まではできてないもんねー。 (×ロ×;)ショック

σ(´ρ` )が入院してから、仕事の終了が早い長男が、かわいい妹のために夕食作りをしてくれていたそうです。その時の失敗談と武勇伝には大笑いしました。(お腹が痛くて笑えないんだからーo(>▽▽<)oキャハハ

Nちゃん(嫁)も、焼き魚とか牛丼を作って持ってきてくれていました。そんなに甘やかせなくてもいいと思うのですが、時期が時期(入試前)だけに気を使ってくれたみたいです。ヾ(*~∀~*)ゞアリガトォー

OTTOも毎日顔をだしてくれました。面接時間はPM8時までですが、忙しいときは顔を出してまた職場に戻っていたのです。

退院時は長男に迎えを頼みました。この病院は以前、長男が勤めていたこともあり、長男を知っている看護師さんもいるみたいです。退院ってどうするの? お礼っているの?という疑問。病院勤務のNちゃんにも聞いてみると、短期入院なんだからいらないって。長男は公務員は高給だから必要ないって。

お礼の言葉を済ませて、無事退院!

06morning  朝食:全粥、たいみそ、梅干

     ふかしいも

     みそ汁(青菜、しいたけ、とき卵)

     牛乳

 06lunch

    昼食:全粥

       野菜炒め

        春雨の酢の物

        フルーツ(バナナ、グレープフルーツ)

                                                

病気なんて経験しなくてもいいです。でも、病気の人の苦しみはよく分かりましたから、その分だけ優しくなれるような気がします。

σ(´ρ` )は傲慢だったのでしょうか?

優しいから病気に負けたような気がするのは、σ(´ρ` )だけ?

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2006年3月 5日 (日)

7日間奮闘記 5日目

hare 術後4日目

起きれるようになってから腰の痛みもなくなり、傷の痛みもかなり和らぎ、歩行もかなりスムーズになったけど、まだ起きるのは一苦労。(ノ_<。)うっうっうっ痛い!

楽しみなのは食べることしかありません。

この部屋は6人部屋なんです。昨日までは4人でしたが、今日一人退院して今は3人です。反対側の2人は70歳代で、一人は足の骨折で手術が必要なのですが、過去に心臓病の手術があり現在は糖尿病の治療中のため、手術が難しい状態みたいです。

糖尿病の人って食べるのが好きなのね。話すことといえば食べることしかなかった。お見舞いの人もいっぱい何やから持ってくるのよねー。σ(´ρ` )は絶食中なのに・・・

体は元気ですが動けませんから、体位を変えてほしいとか、カーテンを閉めて欲しいとか、リモコンを落としたりするたびに、ナースコールするすごいおば様です。

その隣の人は、水分制限をされているらしくて1日500ccらしい。しっこが出ないんだって。水分制限されて、しっこが足りないって言われてもねー。σ(´ρ` )でも無理だと思うけどなー。この人、遠慮なくおならをしてくれるのよ。ガスが出るのを待ってたのはσ(´ρ` )なのに・・・

病院食が甘すぎて食べられないとか、治らないとか文句ばかり言ってるの。ふらふらするので、部屋から出るのは止められているため、ポータブルトイレでしょ、こういう人は便秘ぎみでいつも下剤を使いますから・・・ウワァ~ン(丿。 ̄Д ̄)丿助ケテェ~

確かに味付けはちょっと甘かったかな・・・でも、やっと食べられるようになったσ(´ρ` )は、食べられるだけでいいです。(´_` )ハハッ

朝食:05morning1 まだ五分粥です。

味噌汁にも具がはいっておりました。(とうふ、もやし)

梅干とのりの佃煮付き

   昼食:05liunch 全粥になりましたが、このおかずが鶏の照り焼きって、なんかアンバランスじゃない?

夕食:全粥05dinner

    サケのクリーム煮、ミニトマト

    手前は、小松菜の和え物

    干大根とモヤシの和え物

完食しましたが、やっぱりお粥では美味しくありません。(ノTДT)ノアウゥゥ~

ヾ(@⌒▽⌒@)ノワーイ!明日、退院許可が出ましたー!

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2006年3月 4日 (土)

7日間奮闘記 4日目

hare  手術後3日目

腹膜の膿を出すドレーンも外れました。盲腸の傷のところは大きめの傷テープを張ったままで何もしないんだよ。毎日消毒するのは、この腹膜のところだけ。傷テープの発達ってすごいのね。

今日からやっと食事ができます。口から食べられるありがたさがよく分かりました。

朝食のメニューは、おもゆ、味噌汁(具なし)、ヨーグルト、牛乳

全部水じゃない。 (×ロ×;)ショック

昼食も、おもゆ、コンソメスープ、オレンジジュース ┐( ー ー)┌ヤレヤレ

夜は、5分粥、オムレツ、カリフラワーのサラダ やっと固形になった。

今日は、最後の点滴が終わるを待って、M奈に髪を洗ってもらいました。やっとスッキリしました。手術後2日目から下半身シャワーはできるのです。看護婦さんに頼めば洗ってもらえるんだけど、何か忙しそうだから頼みにくいし、看護婦さんの仕事ってよく分からない。患者さんには向いてないです。(´ヘ`;)ハァ

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2006年3月 3日 (金)

7日間奮闘記 3日目

手術後2日目

今日も外では雪がチラチラしているらしいです。ここでいるとちっとも分かりません。パジャマ1枚で私は充分です。

clover2 そんな中を友達がかわいいふくろうのカップと四つ葉のクローバーを持ってお見舞いにきてくれました。このカップとクローバーはとても好評でした。

先生は、朝と夕方顔を見せてくれます。毎日、ガスが出たか聞いてくれます。腸はグリュグリュと言っているのですが、待っている時はなかなか出ないものね。昼過ぎやっとガスが出ましたー。

ガスが出ると、点滴が終われるんです。明日から食事が取れます。水を飲んでも大丈夫です。もうお腹ぺこぺこなんです。28日から4日も何も食べてない。いくら点滴入れても腹は減る。でも体重ってなかなか減らないものですね。ガッカリε-(ーдー)ハァ

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2006年3月 2日 (木)

7日間奮闘記 2日目

手術後1日目

お腹に力が入らないって、辛いです。動けません。何より、点滴はガスが出るまで3日も入れっぱなしです。水も飲ませてくれません。飲んでもいいけど、「吐きますよ。それでもいいならどうぞ。」って、それってどうよ。腹に力を入れると痛みが伴うのに、吐くなんて想像できる? これが外科医なんです。切って捨てれば、もう仕事は終わったようなものなのね。後は自己回復力に任せるしかないってか?

手術後の急変もなく、回復は順調のようです。胃液を出す鼻からのチューブも取れて、尿管も外れました。これでトイレ歩行ができます。がどうやったら起きれるの?

起きるって、こんなに大変なことなんだ。赤ちゃんが寝返りをするまでの苦労がよく分かりました。動くと傷口が痛い!!(;´Д`) うぅっ。。

朝6時半の採血から始まり、9時ぐらいにはレントゲン(移動式)撮影がありました。体のチューブが外れると、体を拭いてくれました。恥ずかしかったけど、気持ちよかったです。髪の毛が気になります。シャンプーしたい。(ノ~ ̄、)ぐすん

起きるのに四苦八苦しているところに、こりゃりゃさんがお見舞いにきてくれました。この日は3月だというのに、外は寒波の襲来で寒い日だったのです。おしゃべりがうれしかったです。

夜はnoriちゃん(嫁)が来てくれ、テキパキと片付けてくれました。実祖母の入院が長かったこともあり、よく分かってくれてたのでさすがに弱気になってしまいました。まだM奈にそこまで期待するのは無理です。顔を出してくれるだけで充分癒されます。。・:*:・(*´ー`*人)。・:*:・アリガト

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2006年3月 1日 (水)

7日間奮闘記 1日目

tenki04_amekumori  救急で入った時間は12時前、若い先生です。「どうしました?」「お腹が痛い!」

朝からの経緯を話したんですが、「劇的に治るってことはないですからねー。」って調子です。(今までσ(´ρ` )は何でも劇的に治してきたのに...(○`ε´○)ぶーっ)

Mouchoudoko 触診では盲腸辺りにかなり痛みがありました。自分でも「あっ、盲腸だ!」って感じたんです。熱はなかったのですが、白血球の数もかなり増えてました。痛い体を堪えてレントゲンも取りました。

この先生の診断結果では、4つ選択できますっていうんです。

1 即、入院して手術をする。(盲腸の可能性が高い)

2 明日、出直して手術する。

3 入院して注射で散らす。

4 近所の病院(朝行った病院)に紹介状を書くので、通院で散らす。

( ̄△ ̄;)エッ・・?、このままとても入院なんかできないよー。引き受けた仕事を放りぱなしだもん。盲腸がどんなのか、痛みがどんなものか、分かってない私は4番を選びました。

この時点で、もう既に選択ミスなんです。これは私の責任か?

痛み止めをして、家に帰りました。朝までぐっすり眠り、前日より痛みを増しているお腹をかかえ、紹介状をもって病院に行きましたが、もうお腹全体に痛みがあり、注射で散らす状態ではないのは自分でも分かりました。すぐ救急病院に戻るように言われました。。・゜゜・(≧д≦)・゜゜・。エーン!!

OTTOに帰ってきてもらい、仕事を全部キャンセルして、即、手術ということになりました。

昨夜の先生ではありません。もっとベテランのちょっとかっこいい先生。(´▽`) ホッ 昨日の若い先生は、オペの最中らしいです。昨夜も忙しいと言っていました。が、15時30分からの執刀医は前夜の若い先生になってしまいました。なんか縁があったのね、 (×ロ×;)残念!

Tyusui1 このベテランの先生の診断では、CTIの断層撮影の結果、腹膜炎を認めてたのに、この若い先生は分からなかったんだよ。ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ!バカチンガァ!!

この(ベテラン)先生には、昨夜私が手術を拒否したように思われてるし、もう散々だよ。違うよ!4つの中から選べるっていうから、選んだけなのに・・・納得いかない(○`ε´○)ぶーっ

開けてみると、かなりひどい状態だったそうです。大きな傷跡と、もう一ヶ所、腹膜の膿を出すチューブがお腹から出てました。

傷の痛みはじっとしている分にはないのですが、寝るのに慣れてないσ(´ρ` )は、もう腰が痛いし、肩が痛いのが辛かった。

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2006年2月28日 (火)

7日間奮闘記 序章

それは2月28日の朝、別に激痛が襲ったというわけではないけど、何かお腹が痛いなぁと感じて目が覚めました。5時です。何んだかチト早いけど、起きて調べ物をしました。

貧血を気にしてるσ(´ρ` )は、朝食は黒ゴマきな粉蜂蜜牛乳割り。

夫は7時に出勤。その後子どもを起こし、トースト・ココア・卵焼きを食べて登校しました。

その頃から、どうも気分が悪い。お腹の痛みも少しずつ増してきています。子どもを送り出し横になったまではいいけど、だんだん吐き気が激しくなり、下痢と嘔吐の連続。もう何も出すものないというのに、嘔吐は容赦なしです。

病気をしたことのないσ(´ρ` )は、まだこの時点では事態の把握ができてなかったと思います。嘔吐の後は少し気分が楽になりますから、力を振り絞ってゴミを出したり、犬に餌をやりました。

もう、動けない!どうしよう。OTTOの携帯に掛けるが、どうなってるのよーヾ(`◇´)ノ彡☆コノ!バカチンガァ!! 電源が入ってない。(/||| ̄▽)/ゲッ!!!

タクシーを呼ぼうか、すぐ近くに病院に行くだけなのに・・・

救急車? そんな~~、恥ずかしい。

友達に電話しようかなぁ  こんな電話もらっても迷惑だろうしなぁ~~

歩いてはいけない、自転車は無理。やっぱり車だな。

いろいろ頭の中は駆け巡ります。あっ、吐き気が来た~~!次の機会を逃したら、もう動けない。

もうやっとのことで病院に到着。(10時半ぐらい)

「どうしました?」 「お腹が痛い!」顔は真っ青だったと思います。それでも、受付で待つこと10分。あーっ、また吐き気だー。慌ててトイレに行くが使用中。

看護婦(看護師)さんが飛んできて、助かったー。

お腹を押さえても、そう痛いわけではないので診断ははっきりしなかったんです。「食中毒?」私もそう感じましたが、家族が同じものを食べているのに、σ(´ρ` )だけ?

脱水状態ですから点滴をして、気分も楽になりましたから、様子をみることにしました。昼過ぎに娘が帰ってきて、買い物に出かけるぐらいの力はあったんです。フーフーいいながらですがね。夜はM奈(娘)が夕食(ドリア)とお粥を作ってくれました。

OTTOが帰ってきたのは夜12時前です。動けない私を見て、すぐ救急病院へ行くことになりました。

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